セラピスト紹介
中村きよみ
若石リフレクソロジーきよみん代表
リフレクソロジスト/ハンドソロジスト
WEBディレクター/WEBデザイナー
きよみんの思い
忙しくてつい自分のことを後回しにしてしまう頑張り屋さん。
自分のことよりも家族や他人のことを優先させてしまい、疲れているのにゆっくり休めないことはありませんか。
未病のうちに不調の芽を摘み取って大事に至らないように、少し立ち止まって自分のからだの声に耳を傾けることを忘れないで。
自分らしく輝く人生を送るために健康であることは不可欠です。
わたしたちのからだは常によりよくなろうとしています。
自己治癒力を発揮して内側からあなた本来の輝きを取り戻そうとしています。
それでも自分の心とからだのSOSに気づかず(気づかないふりをして)走り続けてしまうと、だんだん自己治癒力が追いつけなくなってしまうのです。
からだのサインを読み取り、ケアする方法のひとつにリフレクソロジー(足部反射療法)があります。
リフレクソロジーは、「足はからだの縮図であり、足部にある64の反射区は全身につながっている」という考えから生まれた健康法です。
わたし自身、働き過ぎでしんどくなったとき、自分で自分の足をもむことでからだが楽になる経験を何度もしてきました。
あなたが健やかで楽しい毎日を送れるように、きよみんがサポートします。
きよみんの大切な記事を集めました
きよみんのあゆみ
1996年よりホームページ制作に従事。スポーツ新聞社、大手旅行会社、大手電機メーカー、学校法人、NPO法人、一般企業などのサイトを担当。
長時間のパソコン作業による過労と、ストレスからたびたび体調不良に悩まされていたが、足の裏をもむことでからだが楽になることを覚える。
2012年ウェブディレクターとして独立。
独立後は個人事業主や任意団体など、自分ひとりですべての作業がまかなえる範囲の小規模サイトを主に手がける。
足もみで何度も激務を乗り越えてきた経験から、2012年にプロのリフレクソロジスト資格を取得。
「国際若石健康研究会日本分会認定 プロ若石健康法マスター」となる。
ホームページ制作と並行して、2012年の暮れからぼちぼちリフレクソロジストとして歩みはじめる。
2013年芒種の日(6月5日)から「若石リフレクソロジーSalonきよみん」として活動開始。
各地のイベントに積極的に出店する形でリフレクソロジストとしての実績をつんでいく。
2014年4月「国際若石メソッドスクール認定 初級プロ養成講座講師」資格取得。
2015年10月「国際若石メソッドスクール認定 三楽道講師」資格取得。
2017年9月から毎週金曜日に京都市左京区一乗寺のレンタルスペースで「若石リフレクソロジーSalonきよみん」常駐。
一応、拠点らしきものができる。
拠点ができたことで施術だけでなく、講座を企画し、自ら講師をつとめるようになる。
ホームページ作成講座、足もみ入門講座などの開催を重ねる。
2018年5月、「株式会社足もみ塾主催 ハンドソロジスト養成講座」修了。
ハンドソロジーを施術メニューに加える。
2018年8月から京都市左京区岩倉の共同サロンに参加して金曜日以外の拠点を設ける。
2019年4月19日、一乗寺Salonがレンタルスペースの閉店にともない活動終了。
2019年4月30日をもって岩倉Salonも解散し、新たな拠点探しをはじめる。
2019年5月からは出張施術とイベント出店でリフレクソロジストとしての活動を続ける。
2019年9月19日、新サロン用の物件が見つかり、不動産屋さんとのやりとりがはじまる。
2019年11月11日、「株式会社足もみ塾認定 ハンドソロジー認定講師」資格取得。
2019年12月5日、京都・木屋町に「若石リフレクソロジー Salon & School きよみん」をオープン。
2021年10月22日、「ヘッドセラピー講座」修了。
ヘッドセラピーを施術メニューに加える。
2023年3月27日、「ふくらはぎトリートメント講座」修了。
ふくらはぎトリートメントを施術メニューに加える。
2023年芒種の日(6月6日)「若石リフレクソロジー Salon & School きよみん」10周年。
きよみんのこと
- 属性
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未年、天秤座、O型、KIN78(白い宇宙の鏡)
- 趣味
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琉球舞踊、木工
- 居住
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大阪市此花区 → 兵庫県尼崎市 → 大阪市西淀川区 → 兵庫県尼崎市 → 京都市左京区(いまここ)
- 好きな食べ物
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桃、柿、荒尾梨、有明海苔、昆布、とろろ昆布、めざし、玄米、鯨ベーコン、塩鯨、
- 嫌いな食べ物
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タコライス、ちらし寿司、きりたんぽ、味噌田楽、ふわふわの食パン、すっぽん、天丼、
- 好きなお菓子
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桜餅、花見団子、アポロ、あめがた、干し芋、カーサムーチー、
- 嫌いなお菓子
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炭酸せんべい、ミントチョコ、
- 好きな飲み物
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アールグレイ、蕎麦湯、V8、
- 好きな声
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Luciano Pavarotti、Kurt Cobain、Don Henley、BONO、
生い立ちのようなもの
<要注意>とめどない長文です
大阪で生まれる。
とても毛深い赤子で、耳の後ろや肩にも黒い毛がフサフサしていたので「猿の子かと思った」と母に言われる。
ぜんぜん人見知りをしない子どもだったらしい。(いま人見知りなのはなぜだろう)
その後、兵庫県尼崎市に転居。
近所の幼馴染たちと毎日よく遊んでいた。
2階の窓から顔を出していた子に向かってボールを投げたら、絶妙なコントロールでその子に届いたところを近所のお兄ちゃんに褒められて調子に乗る。その時たまたま左手で投げていたことでさらに褒められたことが嬉しくて、ずっと左手で投げていたらそのままサウスポーになる。(左投げ、左打ち)
ただし、字を書くのは右手、お箸を持つのも右手。
ただし、改札を通るときに切符を通すのは左手、自動販売機にお金を入れるのも左手なので微妙に不自由。
右利きか左利きか質問されると答えに困る。
4歳くらいの時に母と一緒にドーナツを作ったのが一番古い料理の記憶。
座卓いっぱいに麺棒で生地を延ばして、ドーナツの金型で型抜きをした光景を鮮明に覚えている。
まだ小さかったので延ばした生地はタオルケットくらいの大きさに感じた。
とっても楽しかった。
ドーナツを油で揚げた時のこともよく覚えている。
背が届かないので脚立にのぼって、長い菜箸をぐーで握りしめ、ドーナツの穴に菜箸を差し込んで油から引き上げていた。
その時ぴったり横に張り付いていた母の気配は今も感じることができる。
その後、パンケーキなどのお菓子を自分で作って食べるようになる。
小学校1年生の時、クラスのお友達が家に遊びに来た時にはフレンチトーストを作って出したりしていた。
お友達の家に遊びに行くと、戸棚や冷蔵庫の上から既製品のお菓子(ビスケットなど)が出てくるのが不思議だった。
我が家ではお菓子は作って食べるのが当たり前で、買い置きのお菓子はなかった。
小学校低学年の頃からよく作っていたのは、パンケーキ、ホットケーキ、シュークリーム、プリン、クッキー、わらび餅など。
とにかくパンケーキはよく作って食べた。
時々、卵白をツノが立つまで泡立ててホットケーキにした。
ハンドミキサーなどなかったので、泡立て器でストイックに泡立てるのが好きだった。(これは今でも変わらない)
※当時我が家では、パンケーキ(クレープのように薄く焼いたもの)、ホットケーキ(ベーキングパウダーを使ったり、卵白を泡立てて生地を厚く膨らませて焼いたもの)と区別していた。
二人の弟と一緒に、きょうだい三人でいろんなお菓子を作って食べていた。
小学校2年生の時に母が仕事に復帰したので、土曜日のお昼ご飯を作る担当になる。
当時はまだ週休二日制が定着していなくて、土曜日も出勤が普通だった。
小学校も土曜日は休みじゃなくて、午前中だけ授業があるので給食がなかった。
弟にお昼ご飯を食べさせるために、土曜日の午後は市場に買い物に行って食事の支度をしていた。
この頃よく作っていたのが、肉うどん、スパゲッティミートソースなど。
ミートソースは合い挽きではなく、牛ミンチと豚ミンチを別々に買って混ぜていた。
玉ねぎ、にんじん、セロリをひたすらみじん切りにする作業に達成感を抱いていた。
缶詰のマッシュルームは必須。(生のマッシュルームなど見かけない時代)
ローリエも使うこだわり少女だった。
小学校3年生くらいからパンを焼きはじめる。
初めて作ったロールパンはちょっと固かった。
初めてでも失敗しないシフォンケーキ、というレシピに惹かれて作ってみる。
絶対に失敗しないよ、誰でも膨らむよ。という言葉を信じて焼いたのに、粗熱をとっている間にすっかりしぼんで愕然とする。
あまりのショックにゴミ箱にこっそり捨てる。
おやつを楽しみに仕事から帰って来た母が、わたしが一人でシフォンケーキを全部食べてしまったと勘違いして激怒する。
ゴミ箱に捨てたと白状したら、それはそれで怒られると思ったので黙って罪を被る。
わたしにとってシフォンケーキは禁忌である。
料理の話をしたら全然進まないので省略。
小学校2年生の時、初めて学級委員長、副委員長を決めるクラス投票が行われる。
1学期にいきなり委員長に選ばれてしまう。
家に帰って母に「委員長になった」と報告したら「委員長は男の子がなるもんやろ?副委員長ちゃうの?」と言われる。
母の言う男の子と女の子の意味がよくわからなかったが、紛れもなく委員長だった。
2学期の投票では、前回選ばれた人は選ばないという制度により免れた。
しかし3学期の投票では、2学期に選ばれていなかったから、と言う理由でまた委員長に選ばれる。
その後、小学校2年生から高校3年生まで全学年で委員長か副委員長をつとめることになる。
一見、優等生に思われがちだが、実はものすごいズボラでぐうたらなのが真の姿。
夏休みの宿題はまともにやったことがない。(堂々と言うことではない)
小学校5年生の時、いつものごとく夏休みの宿題を全然やっていかなかったら担任の先生に「どうしたの?病気だったの?」と本気で心配される。
わたしと同じように宿題をやってこなかったクラスメートは思いっきり怒られていたので、いたたまれない気持ちになる。
中学校の国語の先生に「あなたは心だけ早く大人になっている」と指摘される。
そう言えば思い当たる節があるなぁと先生の洞察力に感心する。
幼稚園の頃、みんなが輪になって手を繋いでお遊戯をしているところに入っていけなくて、部屋の隅っこで壁にくっついて立っていた。
先生が膝をついてわたしの顔を見上げて「どうしたの?お母さんに会いたいの?」とやさしく声をかけてくれた。
わたしは何も言えなくて、ただ首を横に振るだけだった。
心の中では「あんなしょうもないことやりたくないわ」と考えていたけど、先生には本心を言わないほうがいいと思ったので黙っていただけだった。
小学校2年生の遠足で電車に乗った時、少し揺れただけでキャーキャー大騒ぎ。
わたしは「なんでこの子らこんなにうるさいねん」と黙って立っていた。
冷ややかな目で同級生を見ていると、その向こうに立っている担任の先生と目が合った。
「ほんまにうるさいねぇ」「そうですねぇ」と目で合図を送りあった。
とまぁ、こんなありさまで可愛げのない子どもだったように思う。
なにかきっかけがあったわけではなく、たぶん生まれつき。
(つづく?)